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インプットとアウトプットの関係は単線の電車のようだ。 [ロジカルシンキング]

論理を構築する時に、インプットで思考を動かす場合とアウトプットで動かす場合がある。言葉自体は聞いたことはあっても、論理の構築という前提だと馴染みはないかもしれない。


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「りんごが落ちた」という事象があったとする。

インプットで展開した場合、一例では「ハサミで枝を切った」が抽出される。

アプトプットで展開した場合、一例では「籠に入れた」が抽出される。

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インプットは原因が追求されていき、アウトプットは結果が判明していく。

  インプット(原因) ⇔ アウトプット(結果)


インプットを連続させていくと(原因の原因を思考する)
りんごが落ちた → ハサミで枝を切った → りんごは枝でつながっているため


アウトプットを連続させていくと(結果の結果を思考する)
りんごが落ちた → 籠に入れた → 出荷される


ここまでの展開は、私が勝手に前提を設定し、展開させただけで、実際は十人十色の答えがあるはずだ。ただ数学のような唯一の答えがないから好き勝手にすればいいわけでなく、論理的な展開が条件となり、他人が聞いて納得感のない展開は意味を成さない。


上記はそれっぽいものにしたつもりだ。しかし、例えば「りんごが落ちた」をインプットで展開して「晴れたから」と聞かされたら、つじつまが合わず、意味不明の心境になるだろう。ビジネスは合議的にモノゴトが決まるため、一般論として認識されない論理は通用しない。


モノゴトを決定する人、リーダーだったりマネージャは、最終のアウトプットを知りたいのであり、そこに価値観が集中しているのだ。例えばタブレットPCを営業部に導入したい場合、「タブレットPCを導入する」から、アウトプット(収益アップ?費用は?)とインプット(根拠は?)のそれぞれを突き詰めていけば、報告すべきことが見えるくるだろう。気をつけるべきは、決定する人に「パソコンよりも手軽に使えるから」と最終に程遠いアウトプットを訴えてしまうこと。


同時にインプットとアウトプットが入り混じることはないので、単線の電車のように、インプットが展開されている時は、アウトプットは隠れている。逆にアウトプットが展開されている時は、インプットが隠れている。同時に双方向を実現できない点が似ていると思った。

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